Yes, I am back.
有时候按照上套的驴,用全力工作了3年之后,终于略有闲暇,又提笔开始继续我的Blog。小心情没有用处,我会继续写作对大众有所作用的文字。即使不能愉悦,博君一笑,亦是不错。
我又听到了NHK,我又听到了小椋佳、坂上の雲。この中国、この会社、これらの漫画コンの仲間達は、もはやその明治と呼ばれる最も期待感をおもつの世代に違いない。
その日本に駐在の間、性格的に未熟とはいえ、青春時代で先進国の風景を現場で体験したことは大事な経歴と存じる。特に、別国の文字、思想を頭に平行の世界を展開できるの魅力は言葉で尽くしない。
このブログを停止した5年の間、素晴らしい文章と付き合いできました:
司馬遼太郎の『坂上の雲』よる改編したタイガーマスクのナレーション:
登っていく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲が輝いているとすれば.
それのみを見つめて、坂を上っていくであろう.
まことに小さな国が,開化期を迎えようとしている。
「小さな」といえば,明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく,人材といえば三百年のあいだ読書階級で
あった旧士族しかなかった。
明治維新によって日本人は初めて近代的な「国家」というものを持った。
誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは,日本史上の最初の体験
者として,その新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚が分からなければ,この段階の歴史は分か
らない。社会のどういう階層の,どういう家の子でも,ある一定の資格を
とるために必要な記憶力と根気さえあれば,博士にも,官吏にも,軍人
にも,教師にも成り得た。
この時代の明るさは,こういう楽天主義から来ている。
今から思えば,実に滑稽なことに,コメと絹の他に主要産業のない国家
の連中は,ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした、陸軍も同様であ
る。財政の成り立つはずがない。が,ともかくも近代国家を作り上げよう
というのは,元々維新成立の大目的であったし,維新後の新国民の少
年のような希望であった。
この物語は,その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロ
シアと対決し,どのように振舞ったかという物語である。
主人公は,あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない
が,ともかく我々は3人の人物の跡を追わねばならない。
四国は,伊予松山に3人の男がいた。この古い城下町に生まれた秋山
真之は,日露戦争が起こるにあたって,勝利は不可能に近いと言われた
バルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て,それを実施した。
その兄の秋山好古は,日本の騎兵を育成し,史上最強の騎兵といわれる
コルサック師団を破るという奇跡を遂げた。
もう一人は,俳句短歌といった日本の古い短詩形に新風を入れて,その
中興の祖となった俳人・正岡子規である。
彼らは明治という時代人の体質で,前をのみを見つめながら歩く。
上って行く坂の上の青い天に,もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いていると
すれば,それのみを見つめて,坂を上っていくであろう。