2007年12月21日星期五

歓送の歌

书,电影,和中国高速公路警车肉搏

这一切当然不会是真的。否则的话,全世界的无烟组织早就揭竿而起了。控烟从来不是一道简单算术题。在这充满硝烟的战场上,永远存在着各种成本和利益的考量。在《上瘾五百年:瘾品与现代世界的形成》这本有趣的书中,对此就有十分精彩的分析。其中有个可谓颠簸不破的“瘾品法则”:“一旦上了瘾,需求量就固定不可少了。”事实也是如此,当装满香烟的潘多拉盒子一旦打开,再想把盒子盖上可就不那么容易了——后面估计会跟着一望无际的、求告无助的烟民。

引用自魏英杰Blog




据说的中国高速公路上, 一辆货车阻截警车不让其超车的惊异镜头。


《弗罗斯特对话尼克松》(Frost/Nixon)是今年年底刚上映的一部片子,我预言它将起码获得奥斯卡提名。

这是一部关于两个男人的电影。其一是尼克松,不用多说。其二是David Frost,原本是个英国娱乐综艺节目的主持人,花花公子。当尼克松辞职后,弗罗斯特突发奇想,决定去和尼克松做一次电视访谈,并愿意为此支付50万美元(1977年时候的50万美元是笔很大的钱)。尼克松得知这个消息后,问助手:“能把费用提高到55万美元吗?”而最后谈判的结果是60万美元,比第二名CBS的报价高出了25万。

尼克松辞职后依靠到处做演讲赚钱,他觉得弗罗斯特是个娱乐节目主持人,很好糊弄,试图借此机会恢复名誉,重新出山,即使不能继续从政,起码可以多挣一些演讲费。而弗罗斯特更是纯粹为了钱,他这60万美元大都是向朋友借来的,算是投资。可当他向美国三大电视网兜售这个访谈节目时,却遭到拒绝,大家都不看好他,认为他不是老奸巨猾的尼克松的对手,问不出什么东西。弗罗斯特只好再投资200万美元,自己来制作这套节目,准备做好后再卖出去。

按照合同(对,这种访谈是要预先签合同的),访谈将分为4部分,各90分钟,分别谈尼克松的个人历史、美国政策,外交政策和水门事件。弗罗斯特非常清楚,要想把节目卖出个好价钱,必须要让尼克松公开承认自己有错。而尼克松辞职后,接替他的福特把尼克松豁免了,不用接受审判,他也确实从来没有公开认过错,美国公众对此十分不满。

弗罗斯特招募了两名侦探辅佐他收集资料,准备应战。他使了个花招,故意在访谈开始前一天晚上参加一部电影的首映式,并接受采访说,他希望和尼克松的访谈将会是“一连串的和谐之音”。他希望借此来麻痹尼克松,但是尼克松根本不为所动,第一次访谈完全占了上峰,给了弗罗斯特一个下马威。

弗罗斯特意识到对手太强大了,立刻和助手们商量对策,改进手法,继续应战。之后的情节我不想多写了,再写下去就有剧透之嫌。不过,虽然我不是专业影评人,但再丑的猪也是哺乳动物,我必须不谦卑一把,强烈推荐大家去看。这电影是“戏剧艺术”的最高境界,无论是导演Ron Howard还是两个演员都牛逼极了,不看那是你的损失。

至于结果,大家肯定都猜出来了,弗罗斯特最后逼迫尼克松公开承认自己做错了,这也是尼克松唯一一次公开认错。弗罗斯特的这个访谈成了美国政治类访谈节目收视率冠军,直到现在仍然如此。不用说,弗罗斯特发了大财。

(from 土摩托日记)

2007年12月12日星期三

让我生气?

突然想起一个笑话。

有一次,有某人居然向我发脾气,而且又不熟的人。
我默默,说你没必要这样吧。伊仍然不依不饶的的讲。

后来,伊突然悔悟了要道歉,说一定要我原谅。
我说,没什么,没事,别在意。
伊仍然怀疑的觉得我不会如此宽恕。

然而伊并不知道,伊所愤愤诅咒的,丝毫并不为我所在意,
如闻疯人疯语,如蝉鸣蛙躁,只是落得我一个笑柄:原来此人如此低俗。
伊还没羽化到可以让我生气的境界。无所谓记恨,哪里有什么宽恕。

有时候我扬言要诅咒XXX,认为骗取了卢布的缘故,但是不是当作笑料
却是总也想不起来。人真是个奇妙的动物。

2007年12月3日星期一

義経の母 常盤の遺言

源义经的母亲常盘的遗言:

「ただ 会えずとも 母の胸にはいつも 九郎や能子への想いに
満ちあふれていることを くれぐれも お忘れあるな・・・・・」
ーー義経(第25回) 「義仲最期」


「まっすぐなそなたゆえ、物事を曲げることは気にそわぬと思うが、
密かな謀(はかりごと)や企(たくらみ)の渦巻く中では、きれ
いごとだけでは生きてゆけぬぞ。くれぐれも身の処し方を誤ること
のなきよう、物事を見定めよ。 表も、そしてその裏も・・・
鎌倉も、法皇様でさえも」
ーー 義経 第29回「母の遺言」

2007年12月2日星期日

判官贔屓

優れた軍才を持ちながら非業の死に終わった義経の生涯は、人々の同情を呼び、このような心情を指して判官贔屓(ほうがんびいき、判官(ほうがん)とは義経が後白河法皇から与えられた官位による呼称であり、はんがんびいきという読み方は間違い)というようになった。

判官贔屓的读音
「判官贔屓」 の正しい読み方
http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2005/03/_.html

「ユニークな語釈」 とやらで人気のある 『新明解国語辞典』 (三省堂) だが、私はかなり批判的である。マイクロソフトの辞書ソフト、"Book Shelf Basic" の国語辞書に採用されているのも、本当は気に入らない。

今日、また気に入らない語釈を発見してしまったので、ここでイチャモンをつけたい。

何が気に障ったのかというと、「判官贔屓」 である。これを 「ほうがんびいき」 の読みで引くと、なんと、"「はんがんびいき」の老人語" と出てくるのである。とんでもない乱暴な語釈である。

私は 「判官」 という独立した言葉なら、原則的に 「はんがん」 と読む。しかし、「判官贔屓」 という複合語に関しては、断じて 「ほうがんびいき」 と読む。「はんがんびいき」 とは絶対に読まない。「老人語」 とは何たる言いぐさだ。

そもそも、「判官贔屓」 というのは、同辞書が 「はんがんびいき」 の項で説明しているように、「兄頼朝に嫉視されて滅びた九郎判官源義経に対する同情の意」 から発している。この 「九郎判官源義経」 というのが勘所である。

古典芸能の世界では、普通は 「源」 は付けずに、「九郎判官義経」 と言い習わす。読みは、「くろうほうがんよしつね」 である。さらに 「ほうがん」と言ったら、それはもう準固有名詞みたいなもので、とりもなおさず、源義経のことなのである。それが 「お約束」 なのだ。

歌舞伎十八番の 「勧進帳」 などで、関守の富樫が 「判官殿にもなき人を・・・」 という台詞があるが、これを 「はんがんどのにもなきひとを」などと言ったら、それでもう、日本の歌舞伎文化はおしまいである。断じて 「ほうがん」 であって、「はんがん」 ではない。

一方、「仮名手本忠臣蔵」 で浅野内匠頭に擬せられる 「塩谷判官」 は、「えんやはんがん」 である。「えんやほうがん」 とは絶対にいわない。それは、「ほうがん」 と言えば、源義経以外にいないからである。原則的に、義経以外は 「はんがん」 なのだ。

だから、「判官」 は 「はんがん」 でも 「ほうがん」 でも OK だが、「判官贔屓」 となったら、昔から今に至るまで 「ほうがんびいき」 なのである。

きちんと日本の伝統文化を囓ってから辞書を編纂しろといいたいのである。

ちなみに、私は 「小股」 という言葉に関しても、同辞典にイチャモンをつけている (参照)。

[附記]

とにかく、日本人は昔から源義経が大のご贔屓で、芝居の登場人物人気投票をしたら、ダントツの一番人気だった。それで、歌舞伎にも 「義経物」 という一大ジャンルがあるぐらいである。

そんなことだから、昔の歌舞伎のドサ廻りでは、義経とは何の関係のない芝居でも、一度は義経が登場しないと、客が収まらないのである。

それで、ストーリーのちょっとした隙間に、まったく関係のない義経がちょっとだけ登場する。御殿の場面などで、登場人物が全部引けた時などに、奥の襖がスルスルっと開いて、一座の二枚目役者が登場する。義太夫の語りがうなる。

「そこにィ 出でたるゥ~う 九郎判官 (くろうほうがん) (ベベン、ベンベン)」

「くろうほうがん」 と聞けば、源義経に他ならないことは、日本の常識だから、もう客席はやんややんやの大喜び。声がかけまくられる。ちょっとした所作があって、客の気が済んだところで、義太夫は続ける。

「さしたるゥ 用事もなかりせばァ~あ、(ベベン、ベン) 次の間にとぞォ 消へ給ふ~ (ベベン、ベンベン)」

この語りに乗って、義経役者は次の間に消え、芝居は何事もなかったように、本来の筋に戻る。

「備考」

もちろん、「ほうがん」 の歴史的かなは、「はうぐゎん」 である。そして、「はんがん」 は 「はんぐゎん」 (念のため)。